大崎半島 歴史探訪シリーズ ~開園60周年を迎えるくじゃく園~

更新日:2024.06.11

瑠璃の水辺 編集部

瑠璃の水辺 編集部

みなさん、こんにちは!
瑠璃の水辺の歴史専門アドバイザーの古川恵美です。
大崎半島の歴史を独自の視点で少しずつご紹介してゆきます。
歴史を知ることはその土地を知る一番の基礎になります。
どなたにも興味をもっていただけるよう記事を書いてゆきますのでお楽しみに(*^-^*)

<自己紹介>
趣味:歴史の勉強
特技:居合道を習っています。
所属団体: 
川棚史談会、佐世保史談会、波佐見史談会、京都霊山歴史館
川棚町楽しく笑ってまちづくり
川棚町戦時遺構ボランティアガイド
佐世保市三川内小学校PTA役員

くじゃく園開園の記念式典 昭和38年10月29日

大崎半島は観光長﨑、雲仙国立公園、西海国立公園の観光ルートの中間に位置し、琵琶湖を思わせる大村湾に突き出た風光明媚な大崎半島一帯が観光地として、大きくクローズアップされることを期待されました。

 昭和38年(1963)、佐藤勝也県知事が東南アジアを視察された折のインドでの会合で、クジャクを譲り受けます。東大伊谷教授が県内の公園を調査された結果、大崎半島に放し飼いにする計画となりました。

 10月29日、大崎半島に「くじゃく園」が開園。メロトラ駐日インド大使をお迎えして、佐藤県知事、県観光連会長、竹内町長など来賓200人余りの出席のもと、同園内で盛大な開園式が行われました。郷土民芸木場浮立、町観光船組合による漁船パレード、商工会がインド国旗と日本国旗を沿道に飾るなど、町をあげての歓迎が行われました。

大崎半島はその一帯を県の大崎自然動植物園として指定発足され、第一陣としてくじゃく園ができあがったのです。

昭和40年(1965)、新九州百景に大崎半島と大村湾が入選。また、長崎県自然公園審議会において大村湾一帯が県立公園に指定されました。

昭和42年(1967)、寄贈された10羽のくじゃくは、200羽にまで繁殖しました。

昭和43年(1968)、県は大崎半島自然公園開発事業として2300万円が投じられ、休憩所、駐車場、鳥舎、給水施設、園内に遊歩道延長500m、ベンチ設置、芝生を設備しました。町においても、次年の国体までに60人収容の鉄筋コンクリート2階建て国民宿舎建設の計画を立てました。

 県は観光年賀ハガキ40万枚を発行しましたが、そのうちの1万枚は、大崎くじゃく園をカラー写真に収めたものでした。年賀ハガキは、3泊4日の長崎県内招待の抽選券付きで、当時価格で1枚7円。地区1戸当たり3枚程度で売り出しました。

 昭和44年(1969)5月5日、大崎公園くじゃく園がオープン。これは現在に続く「くじゃく祭り」の第1回目となります。 

 午前7時頃から入園者が詰めかけ、8時半からマイクロバス17台による町役場~くじゃく園登り口間のピストン輸送も開始。昼頃までには家族連れや団体客など町内外から約6,000人が集まり、大変な賑わいを見せました。

午前10時45分、自衛隊音楽隊の演奏が始まり、11時打ち上げ花火と共にファンファーレが鳴り響き、開会が告げられ、佐藤県知事と子供代表によって鯉のぼりが、長崎県少年合唱団の「鯉のぼりの歌」に合わせて高々と掲揚され、折からの強風にあおられながら力強くはためきました。式は佐藤県知事と竹村川棚町長の挨拶の後、地元東小串の白鳥子供会代表より感謝の言葉が述べられ、知事から感謝状や子供の日の贈り物が進呈されました。記念植樹や祝賀風船放揚、テープカットが行われ、式は盛会のうちに終了。

午後からは特別アトラクションとして木場浮立が披露され、人形ター坊ちゃんや長崎県少年合唱団、自衛隊音楽隊の演奏など華やかに繰り広げられた。子供の日とあり、アルコール抜きで入園者には先着順にアイスクリームや綿菓子、ヤクルト、コーラなどのおみやげ券が配布。引換所では終日大変な人だかりをみせました。

参考記事:「広報かわたな」より