大崎半島にまつわる歴史と謎〜軍事遺構?大崎半島の謎〜

更新日:2023.12.14

瑠璃の水辺 編集部

瑠璃の水辺 編集部

遊歩道の最終地点・東屋の近くにある。排水路の跡かと思われるが、確証はない。
建築専門家の見解によると、これは昭和20年前後の建築物とのこと。
年代から戦時中のものと判明。
そこで頭に浮かんだのは、大崎半島の対岸に三越郷片島にあった魚雷発射試験場。頂上には魚雷の軌跡を確認する観測所もあった。
実はこことは別角度で魚雷を観測する施設が大崎半島頂上にも設置されていた。 

川棚の歴史ガイドブックとも言える「川棚歴史散歩」によると、大崎半島領域は江戸時代には御用山(大村藩所有の土地)として管理されていたらしい。
国有林となったのは明治維新後とのこと。
頂上の魚雷観測所や海岸の排水路らしき遺跡から考えられることは、大崎半島は国家組織であった日本海軍が管理し、軍事施設の設備を整えていたのではないか….ということ。 

それを示す文献や史料は確認できていない。
戦後、軍関連の機密書類や記録書はほとんど隠滅のために焼却されたと聞く。
もしかしたらその中にあったのかもしれないし、未だどこかに眠っているのかもしれない。 

おまけ

巨岩が神様として祀られています。

川棚町史談会 古川恵美 著